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AI時代の一人時間論 ― オナニーは本当に「損失」なのか

⏱ 読む時間の目安:約9分

「自慰は時間のむだ」「体力を失う」「集中力が落ちて仕事に響く」。こうした言い方を、どこかで耳にしたことがある方は多いと思います。働く時間こそが価値で、それ以外は「損」だという考え方があります。その中では、一人で気持ちよく過ごす時間は、いちばん先に削られがちです。

ところが今、仕事の一部をAIが代わりにこなす時代が始まりました。「人の時間の価値をどう測るか」という物差しそのものが揺れています。このコラムでは、自慰を「損失」とみなす考え方がどこから来たのかをたどります。そして、AI時代にその物差しを見直す意味を、編集部なりに考えてみます。

「体に悪い、損をする」という考えはどこから来たのか

意外なことに、自慰を大問題として扱う考え方は、それほど古くないです。歴史家のラカーは、その始まりの年をかなり正確に示しています。自慰が道徳と医学の大きな問題になったのは1712年ごろで、ロンドンで出回った『オナニア』という小冊子がきっかけだというのです。古代や初期のキリスト教の社会は、この問題にさほど関心を払っていなかったといいます。おもしろいのは、最初に心配したのが古いしきたりを守る人たちではなく、むしろ新しい考えを広めようとした人たち(進歩的な思想家)だった、という指摘です。個人の自由や私生活、想像力、欲望は、ものを売り買いする社会の中心になっていきました。それにつれて、自慰はそれらの「悪い双子」として見られるようになった、というのがラカーの考えです(Laqueur, 2003)。

この流れを医学の側から大きく後押ししたのが、スイスの医師ティソです。ティソは1758年にラテン語で、1760年にフランス語で『オナニスム』を出版しました。自慰がさまざまな体の不調を引き起こすと書いたこの本は、英語にも訳されて広く読まれました(Tissot, 1781年英訳版)。19世紀になると、精神科医の間でも「自慰が一種の心の病を引き起こす」という考えが受け入れられます。その考えが世の中に広まった理由のひとつには、不安をあおって治療を売る怪しげな商売もあったと指摘されています(Zachar & Kendler, 2023)。アメリカでは医師のケロッグ博士が、若い人向けの健康の本『Plain Facts for Old and Young』(初版1877年)の中で、強い警告を繰り返しました。

日本にも、この考え方は明治のころに入ってきました。社会学者の赤川学さんの研究によると、西洋から来た「自慰は体に悪い」という考え(自慰有害論)は、江戸時代からある、からだをいたわって健康を保つ「養生(ようじょう)」の考え方と重なって根づきました。そして大正のころには「強い有害論」として定着します。性欲をおさえることが、心をみがくこと(修養)や国の話と結びついていきました。その後、1950年代に「弱い有害論」へと変わります。1970年代以降は、自分を知る手段として前向きにとらえる「必要論」へと移り変わっていきます(赤川, 1999)。教育の歴史の研究では、1910〜30年代の日本の性教育が「性欲をおさえる教育」として始まったことも示されています。同じころに翻訳された欧米の性教育の本の多くは、「害を強調して怖がらせることのほうが有害だ」と書いていました。それなのに、日本の性教育の議論では、「手淫の害」と性病の怖さを強調する意見が主流でした。この対比は、とても考えさせられます(田代, 2009)。

では、今の医学はどう見ているのでしょうか。米国小児科学会は、自慰は人の性の経験としてふつうのことだと説明しています。失明や心の病、子どもができなくなること(不妊)などを引き起こすことはない、とはっきり書いています(American Academy of Pediatrics)。WHOも、性の健康を「病気がないこと」だけにとどめていません。喜びのある安全な性の経験を持てることも含めた、体と心と社会の良い状態として定義しています(WHO)。

「生産性」という物差しを見直す

「一人の時間は損」という感覚の裏には、働いた時間だけを価値として数える物差しがあります。この物差しには、100年近く前から疑問が出されていました。

経済学者のケインズは1930年の短い文章で、こう予想しました。100年後の豊かな国では暮らしの水準が4〜8倍になり、1日3時間、週15時間ほど働けば足りるようになるかもしれない、と。そして、人類の本当の課題は、お金の心配から自由になった時間をどう使うかになるだろう、と書いています。余暇をどう過ごして「賢く、心地よく、よく生きる」か、ということです。ただしケインズは、多くの人がその余暇をうまく使えずにとまどうのでは、という心配も同時に書き残しています(Keynes, 1930)。哲学者のラッセルも1932年のエッセイで、「労働は美徳だ」という思い込みが大きな害をもたらしていると述べました。そして、1日4時間労働を提案しました(Russell, 1932)。

余暇と幸せの関係は、その後、心理学で数字を使っても調べられています。37の結果(効果量)、約1万2千人分のデータを使って、たくさんの研究をまとめた分析(メタ分析)があります。そこでは、余暇への関わりと、本人が感じる幸せ(主観的な幸福感)の間に、中くらいの関係が見られました。その関係は「余暇への満足感」を通じてつながっていました。おもしろいのは、余暇に使う時間の長さより、余暇の回数や種類の多さのほうが、幸せとの関係が強かった点です(Kuykendall ら, 2015)。これは関係を見た研究なので、「余暇を増やせば幸せになる」と言い切れるものではないです。それでも、時間を「働いた分」だけで数える物差しでは、見落とすものが多いことはうかがえます。

AI時代に何が変わるのか

文章や画像などを作り出すAI(生成AI)が仕事に与える影響については、さまざまな見積もりが出ています。米国の仕事を作業ごとに分けて調べた研究があります。大量の文章から学んだ言葉のAI(大規模言語モデル)だけで、作業の半分以上が影響を受けるかもしれない仕事は、約1.8%でした。ところが、それを生かすまわりのソフトウェアまで含めると、46%を超えると見積もられました(Eloundou ら, 2024)。国際労働機関(ILO)の2025年の報告では、世界の働き手のおよそ4人に1人が、生成AIの影響を受けるかもしれない職業についています。ただしILOは、ほとんどの仕事には人の手が必要な作業が残るとしています。そのため、仕事がなくなるより「仕事の中身が変わる」可能性が高い、という見方です(ILO, 2025)。

つまり、「AIのおかげで余暇が大きく増える」と確かに言える予測は、今のところないです。ケインズの週15時間の予想も、ご存じのとおり実現していません。余暇が増えるという見方、働き方の中身が変わるだけという見方、得をする人がかたよることを心配する見方など、意見は分かれています。

それでも、ひとつ言えそうなことがあります。人の価値を「どれだけ働いたか」で測る物差しの説得力は、AIが作業を代わりにこなすほど弱まっていきます。そのとき問われるのは、残った時間をどう過ごすか、とくに一人の時間の質ではないでしょうか。

一人の時間については、興味深い実験があります。一人で静かに過ごすと、うれしい高ぶりも、いらだちのような高ぶりも、どちらも落ち着いていく傾向が見られました。そして、自分から選んで一人になった人では、リラックスやストレスの軽さにつながる様子が見られたと報告されています(Nguyen ら, 2018)。同じ一人の時間でも、「追いやられた一人」と「自分で選んだ一人」では、中身が違ってくるということです。

自慰も、この「自分で選ぶ一人時間」の過ごし方のひとつとして見直してよいのではないか、というのが編集部の考えです。

反対側の論点:やめたくても、やめられないとき

ただし、「いくらでも好きなだけ」でよいわけではないです。WHOがつくった病気の国際的な分類(国際疾病分類ICD-11)には、「強迫的性行動症(6C72)」という項目があります。性的な衝動が強くくり返し起こり、それをおさえられない状態が長い期間(たとえば6か月以上)続く場合のことです。本人が強い苦しみを感じたり、仕事や家庭、人間関係に大きな困りごとが出たりしているときを指します。一方で、道徳的な罪悪感や、まわりから否定されることだけから来る苦しさは、この診断の根拠にならないとされています。性への関心が高いというだけでも、診断はされません(Kraus ら, 2018)。

米国の大人2,325人を対象にした全国調査があります。そこでは8.6%(男性10.3%、女性7.0%)が、性的な衝動をおさえにくいことで、医療で問題とされるほどの苦しさや困りごとを感じていました。ただし、使われたのはふるい分け用の質問票で、診断そのものではないです(Dickenson ら, 2018)。

性的な衝動をおさえにくく、苦しさや困りごとがある人棒の長さの目盛りは0〜20%全体8.6%男性10.3%女性7.0%
出典:Dickenson ら(2018)。アメリカの大人2,325人の全国調査。ふるい分け用の質問票による結果で、診断そのものではありません。

ここから見えてくるのは、問題の中心が「回数」や「時間の長さ」より、「自分で選べているか」「生活を圧迫していないか」にあるということです。

次のような状態が続くときは、ひとりで抱え込まないでください。精神科・心療内科や、各都道府県にある心の健康の相談窓口(精神保健福祉センター)などに相談してみましょう。

  • やめよう、減らそうとしても、何度も失敗する
  • 仕事、家事、人との約束、体の手入れが後回しになっている
  • 困ったことが起きているのに続けてしまう、または楽しさをほとんど感じない

反対に、罪悪感だけが強くて、生活には困りごとがない場合もあります。そのときは、「悪いことをしている」という思い込みが苦しさの元になっていないか、一度見直してみるとよいでしょう。

むすび:罪悪感ではなく、自分をいたわる文化として

自慰を「損失」とみなす考え方は、人の時間を働いた分だけで数える物差しと、長く結びついてきました。体の中の大切なものを「使いすぎるな」という発想とも、結びついてきました。その物差しは、医学の面でも、時間の価値という面でも、見直しが進んでいます。

「オナニーの達人」が考える「オナニー道」は、自分で選んだ一人時間を、罪悪感なしで楽しむための作法です。自分をいたわるための時間であって、我慢を重ねて何かを極める修行とは違います。そして、一人の時間を大事にすることは、人とのつながりの時間を軽く見ることとは違います。どちらかを選ぶのではなく、両方を大切にしましょう。AIが仕事を手伝ってくれる時代だからこそ、空いた時間を、自分と誰かのために、気持ちよく使っていきたいものです。

参考にした資料

📜 オナニー道の心得📓 記録アプリ「修行帳」