霊長類のオナニー、その進化の物語
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「オナニーをするのは人間だけ」と思っている方は、意外と多いかもしれません。でも、動物園の飼育員さんや、野生のサルを追いかける研究者にとっては、ごく見慣れた光景です。サルや大型のサル(類人猿)、そしてヒトをふくむサルの仲間(霊長類)では、オスでもメスでも、自分で自分の性器をさわる行動がたくさん記録されています。
では、この行動はいつから、なぜあるのでしょうか。2023年に発表された大がかりな研究を中心に、サルの仲間のオナニーの進化の物語をたどってみます。
「子孫を残す役に立たない」という謎
進化の考え方では、生き物の特徴や行動は、生き残りや子孫を残すことに、何かしら役立ってきたと考えるのが基本です。その目で見ると、オナニーは不思議な行動です。相手がいないので子どもはできません。時間も体力も使います。
そのため昔は、二つの見方が主流でした。一つは「飼われてストレスをためた、ふつうでない個体の行動」とみる考え(病理仮説)。もう一つは「性的な高まりがあふれ出ただけ」とみる考え(はけ口仮説・副産物仮説)です。つまり、特に意味はない、という見方です。
一方で、「実は役に立っているのでは」という考えも出されてきました。代表的なのが次の二つです。
- 交尾のあとの精子の勝負に備える説(交尾後選択仮説):オスが前もってオナニーをすると、古い精子を外に出して、新しく元気な精子で交尾にのぞめる。あるいは、交尾の前に気持ちを高めておけば、ほかのオスにじゃまされる前に交尾を終えやすい。何頭ものオスがメスをめぐって競う種で有利になる、という考えです。
- 病気のもとをよける説(病原体回避仮説):交尾のあとにオナニーで射精すると、おしっこの通り道(尿道)が洗い流されます。そのおかげで、性行為でうつる病気(性感染症)のもとが体に入りにくくなる、という考えです。
400近い資料を集めた「霊長類オナニー大全」
これらの考えを、サルの仲間全体で確かめたのが、ロンドン大学のブリンドルさんたちの研究です。論文246本に、研究者や飼育員へのアンケートや聞き取り150件などを合わせて、400件近い資料を集めました。そこから、どの種でオナニーが見られているかを整理しました。そして、どの種がどの種と近い親戚かを示す家系図(系統樹)と組み合わせて分析しました(Brindle ら, 2023)。
分かったことをまとめると、次のとおりです。
- オナニーはサルの仲間の中で古くからある行動です。サルと類人猿(ヒトをふくむ)の共通のご先祖の段階で、すでにあった可能性が高い。
- オスでは、何頭ものオスが交尾をめぐって競う種ほど、オナニーが見られやすかった。精子の勝負に備える説を支える結果です。
- オスでは、性感染症が多く見つかっている種ほど、オナニーが見られやすかった。病気のもとをよける説を支える結果です。
- メスについては、どちらの説もはっきりとは支持されなかった。
この研究は、ばらばらだった観察記録を一つにまとめ、家系図の上でご先祖の姿まで推しはかった点で、これまでにない成果です。ただし弱点もあります。「見られていない」ことが「その種はしない」ことを意味するとは限りません。また、メガネザルやキツネザルの仲間など、資料が少ないグループでは、ご先祖の推定があいまいなままです。
メスのオナニーは「分からない」のが今の答え
メスで説が支持されなかったのは、「メスのオナニーには意味がない」という結論とは違います。研究チーム自身が、メスの性行動は記録が少なく、数字で確かめるにはデータが足りない(統計的な検出力の不足)と述べています。長いあいだ、動物の性行動の研究はオスに目が向きがちでした。メスの行動は見落とされたり、記録されなかったりしてきたのです。「分かっていない」ことを正直に「分かっていない」と書くのは、科学の大事な姿勢です。
野生のサルもしている:飼育下との違い
「オナニーは動物園のおりの中の、退屈やストレスの表れでは?」という疑問は自然です。ブリンドルさんたちのデータでは、オナニーの報告は、人に飼われている環境(飼育下)のほうが298件、野生が105件で、飼育下のほうが多くありました。ただ、飼育下のほうが観察しやすく、研究の数そのものが多いので、件数だけでは比べられません。
そこで研究ごとに見ると、オナニーが記録されていたのは、飼育下のメスの研究の74.5%、飼育下のオスの研究の87.4%、野生のメスの研究の35.4%、野生のオスの研究の73.3%でした。野生でも、オスの研究の7割以上、メスの研究の3分の1以上で見られています。そのため研究チームは、「飼われているせいの異常な行動」という考えだけでは説明できないとしています。一方で、野生のほうが割合が低めなのも確かです。飼われる環境がこの行動を増やしている面と、森の中では見逃されやすい面の、両方がありそうです。
屋久島のニホンザルが教えてくれたこと
日本にゆかりの深い研究もあります。屋久島の野生のニホンザルの群れを、14か月にわたって観察した研究です。群れのおとなのオス15頭すべてで、オナニーが見られました。交尾の季節に多く、射精をともなうものは交尾の季節だけでした。おもしろいのは、群れの中での順位が低く、交尾のチャンスが少ないオスほど、オナニーの回数が多かったことです(Thomsen と Soltis, 2004)。
この結果は、「交尾のチャンスが少ないオスの、はけ口」という見方とも、「精子を新しく保つ工夫」という見方とも、どちらとも合います。一つの群れの観察から、理由まで決めることはできません。それでも、野生の群れの中でオナニーがごく日常的な行動だと、はっきり示した記録です。
霊長類以外では? リスの「手入れ」説
サルの仲間以外にも手がかりがあります。ナミビアにすむケープアラゲジリスというリスの仲間では、メスが一度の交尾の時期(発情期)に、何頭ものオスと交尾します。この種を調べた研究では、オスのオナニーはメスが発情した日に多く、ほとんどが交尾のあとに起きていました。また、交尾の多い強い立場のオスほど、よく見られました。これは、オスどうしの精子の競い合い(精子競争)の説や、はけ口の説では説明しにくい結果です。そこで、性感染症を防ぐ「生殖器の手入れ」として役立っているのでは、と考えられています(Waterman, 2010)。ただし、一つの種の一つの集団での観察なので、ほかの動物にそのまま当てはまるかは分かりません。
「自然だから正しい」とは言わないでおく
ここまで読むと、「やっぱりオナニーは自然なことなんだ」と言いたくなります。その気持ちはもっともですが、一つだけ気をつけたい点があります。「動物がしているから正しい」「動物がしないから間違い」という考え方は、「自然だから正しい」と思いこむ落とし穴(自然主義の誤謬〈ごびゅう〉)です。動物の世界には、人間の社会では許されない行動もたくさんあります。
サルの仲間の研究が教えてくれるのは、「オナニーを病気や異常とみなす根拠は、生き物の学問の側からは見当たらない」というところまでです。それをどう楽しむか、どのくらいの回数が心地よいかは、一人ひとりが自分の体と相談して決めることです。サルの統計が決めることではありません。
ヒトへのヒント:オナニーは、サルや類人猿の仲間が何千万年も前から受け継いできたかもしれない、ありふれた行動です。「恥ずかしい」「悪いこと」と感じてしまうときは、その理由が体の側より、育ってきた文化の側にあるのかもしれません。そう一度思い出してみるのも、一つの方法です。
参考にした資料
- Brindle M, Ferguson-Gow H, Williamson J, Thomsen R, Sommer V(2023)The evolution of masturbation is associated with postcopulatory selection and pathogen avoidance in primates. Proceedings of the Royal Society B 290(2000): 20230061
- UCL News(2023)The evolutionary origins and advantages of masturbation(ロンドン大学の研究紹介)
- Thomsen R, Soltis J(2004)Male masturbation in free-ranging Japanese macaques. International Journal of Primatology 25(5): 1033–1041(CARTAの文献データベース)
- Waterman JM(2010)The adaptive function of masturbation in a promiscuous African ground squirrel. PLoS ONE 5(9): e13060